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2014年10月 4日 (土)

富岡製糸場の誕生日

おはようございます。
10月4日は素晴らしい日です。
今年、世界文化遺産に登録された群馬県富岡市にある富岡製糸場が誕生して140年を迎えた日です。
ご縁があって、4年前に製糸場を訪れました。
お世辞にも活気は感じられない製糸場周辺に対し、館長さんはじめ町民、関係者の「世界文化遺産」への期待を十分に感じて帰りました。
その後、またまたご縁で、モロッコの大学で「着物文化のショー」を開く事になり、モロッコへ行く前に、リヨンに行く事に決めました。
リヨンと富岡を何とか深い繋がりを再燃出来ないかと考えたからでした。
富岡製糸場は言わずと知れた官営模範の工場です。
当時の伊藤博文が「植民地化の懸念から」外国出資を断って、全て日本国で開始した工場です。
東京ドーム二つ分の広大な敷地に、多額な資金を投じて明治政府は外国人指導者として横浜のフランス商館勤務のポール・ブリューナーを雇用、リヨンの最高峰の製糸技術を伝授して貰い、建てた「日本国策」の一貫でもありました。
ブリューナは、リヨンから技術の伝承の為に多くの職人や、家族、医師等を富岡に呼び寄せ、高額な報酬を受けていました。
有名なレンガは埼玉の瓦職人にその技術を教え、焼かせたもの。
縦横を交互に組み合わせた壁は厚みもあり、現在140年経ってもびくともしません。分厚いレンガの熱伝導を良くする為に小さな石を混ぜて焼く事は瓦職人の考えでした。
当時はエジソンが電球を発明する9年前、工場内には明かり取りの役目で大きなガラス窓で囲みました。天井にも明かり取りのガラス…..。日本で焼くのに間に合わず、遠くフランスから運んだ高価な物です。
工場の建造構造もフランスの技術が施され、糸を運ぶ荷車がスムースに通る様、通りに柱を使わないトラス構造を用いています。
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富岡製糸場から大量に優れた絹を海外に輸出された事で、フランスのリヨンに大きな絹産業が活性化。多くの貴族達がリヨンでデザインされる日本の絹に群がったと言います。
リヨンを訪ねてみると、その活況は既に風前の灯火でした。
それでも、絹の博物館で見た「ジャポニズム」に、日本が与えたフランスへの影響を感じて帰国しました。
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日本の養蚕も「石油」からの糸に押され、激減…….
今日は140年という年月の散歩をしようと思っています。
ガマさん手作りの分身と一緒にね。

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さて、本日の振り袖は蘇州刺繡の吉兆模様。
蘇繍は2000年以上の歴史を持ち、中国で最も古くから発達した刺繍工芸です。
蘇州の刺繍は繊細、上品、精巧なことで世界に知られ、両面が異なる図柄で刺繍された“金魚”と“子猫”は蘇繍の代表作です。
双面異繍とも呼ばれる両面繍の技法は、何万もの結び目を巧みに隠して、裏表の両方から楽しめるのが特徴。
色柄とも裏表が一緒のもの、裏と表で柄は同じだが色が違うもの、更に裏表で色、柄、刺繍方ともに違う双面三異繍など、種類もさまざまであり、その巧みな技には息を飲むばかり。
他にも独自の技法として、直線と斜めの線、長さもまちまちなステッチを被せるように組み合わせる乱針繍や、環形繍、打点繍、打籽繍など、多くの刺繍法が現在までに誕生しています。
清代末期の戦乱と文化大革命にかけて、蘇繍は一時衰退して、多くの刺繍作品と伝統技法は消滅してしまいました。
しかし文革解放後、蘇州刺繍研究所が設立され、刺繍工芸家達が失われた技術の整理、回復に努めて、再び蘇集の刺繍工業は力を取り戻す事となって今に至ります。
「素晴らしい文化」は時として、政治や天変地異で途絶えて染まします。
しかし、継承の「汗」こそ人としての「至福」である事を信じています。


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