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2014年7月16日 (水)

私がいる。

今日は母の誕生日。 85歳。 私も母と同じ「母」になっていて、母の頃の「母の気持ち」と寄り添う事ができてきました。 全く別世界の「男性諸君」と共同生活する「結婚」と子供を持って築く家庭社会は、そんなに単純じゃないから。 男性諸君にはそれなりの世界感があるし、女性である我々にもそれがある。 その異なった世界感がぶつかり合って、家庭と言うプラネットを作るには「譲歩」と言うエネルギーが必須。

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昭和を生きて来た母と父なら互いに持つべき「譲歩」の比率は今以上に厳しいものがあったと思います。 私が大学生の頃、父が「もう一人くらい子供がいても良かった....」 と言う言葉を聞いて、年老いて行く父親の後悔めいた言葉が離れず、私は5人産もうと決めていました。 父は戦争体験者。 理系で、機械を扱う事が得意な人でした。 二枚目で、素敵な昭和の父。 誰よりも田舎の小さな商店街を活性化する事に尽力を注いでいた父でした。 父は一代で電器屋さんを築きました。 母はそれを手伝っていて、よく父に叱られていたという記憶があります。
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........................しかし、そんな父親の浮気現場を目撃したと事があります。
(天国のお父さんご免なさい)
小学校の頃の事で、それが何の意味があるのか分かりませんでした。
それ以来、喧嘩が多く....当時の母はどんな気持ちだったんだろうかと今なら、手に取る様に分かります。
それでも、明るく私達を育ててくれた母。
買い物に来たお客さんと話をするのが大好きで、サービス品をさし上げるのが好きな母。 ミシンを踏む事が大好きで、幼少期に着る姉とお揃いの洋服作ってくれた母。
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私が大学生の頃、父は母の大切にしていたミシンを内緒で処分したと母が悲しそうに話してくれました。
そして、父が亡くなる前の年、母のたったひとつになってしまった生き甲斐である電器屋さんを父の一存で締めることになりました。
父が間違っていたとか母が悪かったと言う事でなく、、母と父のプラネットに、「男と女の価値観と役割の世界感」の違いと「譲歩」という分量がうまくかみ合っていなかったのかも知れません。
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2012年夏。
施設に入ったばかりの母が「父の訃報」を聞いた時に、
「かわいそうに....」
と手を併せ涙した母でした。
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昨年の秋、施設にいる母に歌を唄いに行きました。
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私がこの世に産まれたのはそんな父と母がいたおかげ。
母と父を見て、また、父の最期を見て 今私はTradition JAPAN の目標に向かっています。
母がやりたかった「ミシン」それがあってDo Justiceがある。
「絆」は糸を半分半分。 今日は母の日で、沢山のお花を施設に贈りました。716

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